宮崎から鹿児島へ
昨日木村君の行き付けのスナックのママさんから貰ったお菓子を食べながら、いざ鹿児島知覧特攻平和会館を目指す。
時間は3時間程度。
鹿児島市内を抜けて九州最南端枕崎市方面に車を走らせる。
いけど、いけど山、山。
やっと到着した知覧町。
観光バスも多く、一般で来られる方々も沢山いました。
しかし、観光と言っても、この場所の空気感は流石に日本人であれば察するでしょう。
知覧平和会館
神社の園内の柱には特攻兵の名が刻まれ、零式戦闘機が置かれ、特攻服を着た銅像があり、線香を炊く方々が多く館内に入ると、また張り詰めた静かさ、戦後78年私の父母は日本史最大の時代の生き証人だったのかもしれない。
特攻兵として戦死されたのは、1000人弱らしい、
知覧から飛び立ち亡くなった者が485名と聞きました。
約半数が、この知覧から17歳、18歳の若者も多かったと語られてました。
訓練も飛び立つのが精一杯で基本訓練時間に到達しない若者がお国の為にと命を捧げ、米軍の軍艦や空母に激突していく我が国の作戦であった。
78年前を振り返ると、今の自分には出来ないけれど78年前に生まれていれば自分もそうしたでしょう。
我が国の国民を守る、母、兄弟をと考えるでしょうね。
そういった最後の言葉が残されてました。
一度は行ってみて良かったです。
帰りは、戦前から続く特攻の母のご遺族がされているおそばやさんで、お昼をしました。
よし、福岡に帰ろう!
代表 藤川